金持ちと貧乏人の違い② 〜労働者か否か〜
*この記事は私個人の考え、捉え方を示しているので偏りのある考え方かと思います。
「底辺」と呼ばれる者の一つの考えとして、興味のある方は楽しく読んで頂けると幸いです。
前回からの続きです。
→金持ちと貧乏人① - サンシロウの「なんだか気になる」ブログ
日本人は自分が本当に金持ちになりたいと思って無いんじゃないか?
今の社会は労働者階級でいる限り、金持ちになんてなれないよ。よっぽどの大企業で出世でもしない限り。
見栄なのか、自分が貧乏人だと思われるのが嫌なのか知らないけど、お金を得る為の情報交換ってしてるのをあまり見た事がない。
私が貧乏人だからなのか。そういう人をただ単に引きつけてないからなのか。
もしくは、お金を得る為の情報っていうのは、自分だけが知っていれば良いからなのかな。他言は無用っていうやつなのか。
いや、違うと思うんだ。
もう既に諦めているからなんだと思うんだ。
リスクを取ると必ず失敗すると思っているんだよ。
小さい頃、時はまさしくバブル期。不動産バブル期。
あの時、景気が良くて誰でも稼げたって言うけど、ホントに儲けたのって、土地所有者や株取引等やってた投資家達ですよね。
こういう人達のその時の「儲け」に比べたら、「給料が良かった」なんて比較にならないんじゃないかな(リスクも相応だろうけど)。
そして、それは今も同じなんじゃないかな。
長引く景気低迷によって労働者がその時より稼げない事もあって、尚更そう言った事実が際立っている。
最近のアベノミクスと言われるものの恩恵は誰が受けたのかな?法人税が減税されたみたいだけど、その分、会社は給料上げてくれたかな。消費しない人が多いから無理か。
いや、消費が増えてもスズメの涙程度上げるだけか。
つまり、景気が良かろうが悪かろうが、儲けられるのは、「一般(大多数)」の労働者ではない人達な訳だよね。
それなのに、日本人はなぜか労働を美徳と捉える。一生働き続けるのが当たり前だと考える。国に騙されていたんじゃないかな。
この考えって、欧米諸国から見たら異常らしいからね。
年を取っても働いていたら、可哀想な人だと認識されるらしいよ。ホント悲しいよ。
私達の親の世代(団塊の世代等)って、お金持ちになんてならなくても、最低限、正規雇用で働ければ、人並みの生活が出来るんだからそれで良いじゃない?みたいな発想の人が多いと思う。(「多かった」過去形かな。いやまだまだ根強いかと)
それはそれで本当に人並みの生活が出来るのであれば良い。死ぬまでずっと。
でも、悲しいかなそうならない場合が、現実として多々あるわけで。
会社が倒産した、急にクビを宣告された、病気になって働けなくなった、派遣社員になってしまった等、明日も見えなくなる状況に陥るのも珍しくもなんともない。
親の世代はこういう状況を考えていなかったのかな?
(私の親は派遣法の事を言及してたけど。正規雇用が当たり前ではなくなったってさ。まぁ先が読めなかったって事だろうけど。)
自分自身の問題でそうなるなら納得がいくけど、そうでもない。
それこそ運もある。
つまり、労働者階級から脱出して、お金持ちにならないと安心なんて無いという事ですね。
DODAに、2016年度の年収ランキングが載ってたので、載せておきます。
平均年収ランキング2016(平均年収/生涯賃金) |転職ならDODA(デューダ)
1位 投資銀行業務 約777万円
2.運用(ファンドマネジャー/ディーラー/アナリスト 約773万円
3.MR 約710万円
4.経営企画/事業企画 約681万円
5.知的財産/特許 約664万円
ここに出てくる職業の人っていうのは、高学歴で競争に勝って来た人たちだろう。この人達は、それこそ人並みかそれ以上の生活が出来て、尚且つそこで勤め上げれば金持ちにもなれるんだろう。
でも、ほとんどの人はここに載ってない職業に就いてるんじゃないかな。
俺たちには遠い世界の人っていう感じだろう。
結論
ここに載ってないような、例えば、年収400万以下の職業の人は、金持ちになる事を諦めなければいけないのか?それとも、思い切ってリスクを取った生き方をするのか?
この二択になってくる。
私達はどちらを選択して、もしくは、どちらの考え方をベースに生きていくのかをしっかり考えなければいけないんだと思う。
どちらにどの様なリスクが存在するのかを正しく理解して。
続く